東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5557号 判決 1967年3月01日
原告 風間誌一郎
右訴訟代理人弁護士 今長高雄
被告 日本国有鉄道
右代表者総裁 石田礼助
右訴訟代理人 荒井良策
<ほか三名>
主文
1、被告は原告に対し金一五万円およびこれに対する昭和四〇年七月一一日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。
2、原告のその余の請求を棄却する。
3、訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告。「被告は原告に対し金一五〇万円およびうち金一〇〇万円に対する訴状送達の翌日から金五〇万円に対する昭和四〇年一一月六日から各完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言。
二、被告。「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。
第二、原告の請求原因
一、被告は鉄道による旅客運送を営業として行う公法人であり、商法上の旅客運送人である。
二、原告は昭和四〇年二月二六日午後四時すぎ、被告との旅客運送契約に基づき、国電新宿駅から被告の運行する国電山手線第一五一六電車(以下本件電車という。)に乗車したが、乗車して間もなく本件電車内通路において、床面に足を滑らせて転倒しそうになったので、転倒を免れるべく股を開いたまま両脚で踏ん張ったため、両膝関節捻挫の傷害を負った。(以下この事故を本件事故という。)
三、原告は本件事故による両膝関節捻挫の治療のため、事故当日より二日間は三輪病院に、次いで今日に至るまで三水会病院に通院して加療を受け、この間の治療費等として金八千余円の支出を余儀なくされた。また原告は弁護士を業とし月額約金二〇万円の収入を得ていたものであるが、右受傷のため事故後約二ヶ月間は歩行不能で全く弁護士業による収入を得ることができず、その後約四ヶ月間も歩行困難によりその収入は約半額に減少した。その後一応歩行は可能となったものの未だに全治に至らずなお通院加療を受けており、今後も年令と共に歩行困難を増すことが予測され、弁護士としての業務上の支障は大きい。以上の事情に照らし原告は本件事故により多大の肉体的精神的苦痛を蒙ったもので、この苦痛を金銭をもって償うべき慰藉料として金一五〇万円の支払を受けるのが相当である。
よって被告は商法第五九〇条に基づき、旅客運送人として旅客たる原告が運送のために受けた右の損害を賠償する責任がある。
四、また被告は営造物法人たる公共団体であり、本件電車は被告の管理する営造物であるところ、高速度交通機関たる本件電車は、発停車時および運転中において前後左右に動揺するものであり、しかもその乗客は老若男女、壮者弱者を問わないのであるから、車内の装備はその動揺に当ってこれら全ての乗客の安全を保障しうるものでなければならない。しかるに本件電車の床面には極めて滑り易い油性塗料が撒布塗装されており、これは右の趣旨に照らし電車の管理に瑕疵があったものというべく、この瑕疵のため原告は前記のとおり負傷したものであるから、被告は国家賠償法第二条第一項によっても、前項の損害を賠償する責任がある。
五、更に、前項記載と同様の趣旨から、本件電車の床面の塗装に関する義務に従事する被告の従業員としては、乗客が電車床面で滑ることのないような塗布剤を用いるよう十分な注意をなすべきところ、前項のとおり滑り易い塗布剤を塗布したことは、右従業員の業務執行に当っての過失であり、この過失によって原告は前記のとおり負傷したのであるから、被告は右の過失のある従業員の使用者として民法第七一五条第一項によっても、本件事故による前記損害を賠償する責任がある。
六、よって原告は被告に対し前記金一五〇万円およびうち金一〇〇万円については訴状送達の翌日から、うち金五〇万円については請求趣旨拡張の申立をした第三回口頭弁論期日の翌日である昭和四〇年一一月六日から各完済に至るまで、商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因第一項の事実は認める。同第二項の事実中、原告が右膝関節捻挫の傷害を負ったことは認めるがその余は不知。同第三項の事実中、原告が弁護士を業とするものであることは認めるがその余は不知。なお原告主張の病状のほとんどは事故前からの老人性の変形性膝関節症によるものであり、右症状は本件事故と因果関係がない。
二、同第四項の事実中、被告が営造物法人たる公共団体であり本件電車が被告の管理する営造物であることおよび原告主張のように車内装備は電車の動揺に当って全ての乗客の安全を保障しうるものでなければならないことは認めるが、その余は否認する。
三、同第五項は争う。
第四、被告の抗弁
一、被告は、その運行管理する電車内の公衆衛生、快適な旅行の提供、車内清掃及び車両保守等の必要から、車内の殺菌、防塵のために、車両床面に定期的に防塵剤(湿潤剤)を塗布することとし、これを被告との契約に基づき被告の車両の清掃を請負っている訴外鉄道整備株式会社(以下訴外会社という)に併わせて請負わせ、訴外会社が定期的に行なう電車の大掃除の際に実施させることとしているが、昭和三三年ごろから国電山手線に化学合成床材を用いた新型電車が投入され、昭和三八年三月からは山手線の電車は全部新型電車となるに伴い、従来防塵剤として使用していたリノリウム油が右化学合成床材を侵すので、この欠点のない且つ安全な防塵剤を研究していたところ、昭和三八年日本鉱業株式会社より防塵剤として白色の乳剤であるリノクリームの採用願が提出され、被告の鉄道技術研究所において調査の結果品質、性能良好と認めて昭和三九年一月から新型電車に試用し、同年八月からは新型電車全部につき専らこのリノクリームを使用するに至っている。従って本件事故当時は新型電車である本件電車にリノクリーム以外の防塵剤が使用されたはずはない。そして被告はこのリノクリームの基準使用量を一車両〇、四立と定めて訴外会社に指示し、訴外会社はこの指示に基づいてこれを撒布しており、右基準使用量に従えば低温高湿の悪条件の下でも、リノクリーム撒布後四〇分ないし五〇分で床面が乾き、滑るようなことはなくなるものであるところ、右撒布後電車が運行されるまでには、清掃後の被告の電車整備掛員による検収、次いで出庫に先立っての電車運転士による車両点検が行なわれるので、少くとも六〇分の時間経過がある。
本件電車も右の新型電車であり、事故当日は前記の定期大掃除日に当っていたので、右のとおりリノクリームを撒布した後、正規の検収、車両点検を経て運行についたものであるから、事故当時の本件電車の床面は滑り易くはなくなっていたのであり、被告は防塵剤撒布により電車床面が滑り易くならないように充分な注意を怠らなかったものである。従って被告には本件事故に原因を与えた過失は全くなかった。
二、本件事故は乗客中の誰かが油性のものを床面に流したか、あるいは原告の老人性膝関節症による膝部の弱さと原告の歩行上の過失とによって惹起されたものである。
第五、抗弁に対する原告の答弁
抗弁一、二の各事実はいずれも否認する。
本件電車に塗布されていた防塵剤は乳剤様のものではなく、黒っぽい油性のものであって、リノクリームではなかった。また仮にリノクリームであったとしても、その塗布により電車床面は滑り抵抗が減って滑り易くなっていたものである。
第六、証拠≪省略≫
理由
一、被告が鉄道による旅客運送を営業として行う公法人であり、商法上の旅客運送人であることは当事者間に争いがない。
二、≪証拠省略≫によると、原告は昭和四〇年二月二六日午後四時すぎ、被告との旅客運送契約に基づき、国電新宿駅から被告の運行する国電山手線内廻り第一、五一六番電車に乗車したが、右電車の乗車口から客席に向うべく車内通路を歩行中、まだ発車せぬうちに(原告本人の供述はこれに反する趣旨では採用しない。)、その床面に左足を滑らせて転倒しそうになったので、転倒を免れようとして股を開いたまま両脚で踏ん張ったため、右膝関節捻挫の傷害を負った(原告が右傷害を負った事実は当事者間に争いがない。)ことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
三、そこで次に被告の抗弁一につき判断する。
≪証拠省略≫によると、被告は、その運行、管理する電車の内部の公衆衛生上の必要から、車両内に塵が舞い上らないようにするため車両床面に定期的に防塵剤を塗布(撒布)することとし、これを、被告との契約により被告の電車車両の清掃を請負っている訴外会社に、ほぼ五、六日毎に行うべき電車の大掃除に際して実施させることとしていること、昭和三八年後半からは国電山手線の電車は全部化学合成床材を用いた鋼鉄製の新型電車(一〇一型、一〇三型等の車両)となっており、本件電車も右新型であったことおよび本件事故当日は本件電車の大掃除日に当っていたため、本件電車は当日午後被告の池袋電車区構内において車両内外の大掃除と共に防塵剤の撒布を終え、正規の手続に従って被告の整備指導掛員による検収、電車運転士による出庫に当っての車両点検を経て、撒布後四〇分ないし五〇分以上経ってから山手線内廻りの運行に就いたものであることがいずれも認められる。
進んで、右防塵剤として、昭和三九年八月以後の山手線電車には全面的に使用されていたと被告の主張するリノクリームの使用状況につき按ずるに、証人小板橋寅義は、山手線には昭和三九年八月頃から以後はリノクリームだけを使用していた旨、同高橋吉太郎は、山手線車両は鋼鉄製の車両であってリノクリームだけを使用している旨、同斉藤正二は、七二型車両(旧型車両)にはリノリウム油を、一〇一、一〇三型車両(新型車両)にはリノクリームを用いていた旨、同中畔治三郎は、池袋電車区では日本鉱油株式会社からリノクリームを購入して使用し他社の製品は使用していない旨それぞれ供述しており、これらの証言と、その方式および趣旨により被告内部の起案書類として職員により作成されたと認められるから真正の公文書と推定しうる≪証拠省略≫を総合すると、訴外会社は昭和三九年一月から日本鉱油株式会社よりリノクリームを試験的に購入使用し、同年八月からはこれを本格的に購入使用し始めたことを肯認することができ、また≪証拠省略≫によるとリノクリームは黒っぽい油性塗料ではなく白色の乳剤であって、低温高湿のときでも四〇分ないし五〇分で床面は乾燥して、さして滑り易くはなくなるものと認められる。
しかしながら、前認定のとおり山手線の電車が全て新型電車に転換されたのは昭和三八年後半であり、リノクリームが本格的に使用されるに至ったのは昭和三九年八月なのであるから、右の中間においては、新型電車の化学合成床材にもリノクリーム以外の防塵剤が使用されていたことが明らかであるところ、≪証拠省略≫によると、防塵剤は訴外会社において購入し具体的にどの製品を用いるべきかは被告が特に指定はしないが、被告の指示する一定の基準に合致しているか、あるいは被告の東京鉄道管理局長の承認のある製品であることを要することが認められ、また、≪証拠省略≫によれば、被告は防塵剤に関する専門的研究を被告の鉄道技術研究所に当らせていることも認められるのであるから、被告主張のように昭和三九年八月を期して新型電車についてはリノクリームのみ使用することとし、その時まで使用されていた他の防塵剤の使用を一切廃するに至ったものとすれば、大規模な公企業である被告の組織・機構に鑑み、これに関する何らかの内部的な調査・決定ないし訴外会社への業務上の連絡・指示等の文書が、被告ないし訴外会社に残されていて然るべきであると思われるのに、わずかに証人中畔治三郎が昭和三九年一、二月頃リノクリームを被告に試験的に使用してもらい、その結果同年八月から本格的に納入するようになった旨証言するのみで、その他右の疑念を払拭するに足る資料は被告から何ら証拠として提出されるところがない。(なお同証人は、昭和三八年四月に東京鉄道管理局長名でリノリウム油の使用中止命令がでた旨供述するが、同証人は右命令の直接関係人外たる日本鉱油株式会社の関係者であるから、他にこれを裏付ける資料がない以上、右供述のみでは未だ心証を形成するに十分でない。)かえって≪証拠省略≫によると、鉄道技術研究所においては昭和四〇年一一月に発行された同研究所速報において、なお六種の防塵剤(そのうちNo.6を除く五種は防塵剤メーカーないし業者五社からの供試品と認められる。)の性能の比較検討につき確定的な結論を出すに至っておらず、しかも昭和三九年八月二四日から同年一〇月一九日にかけては右の数種の防塵剤につき現車試験が実施されていた位であった(同証表6)ことが窺われるのである。しかもリノクリームの本格的使用開始以前の昭和三九年八月まで新型電車に(昭和三九年一月からはリノクリームと並んで)用いられていた防塵剤の名称すら証拠上明らかにされるところがなく、証人小板橋寅義は訴外会社の池袋事業所長の地位にある者でありながら、右の防塵剤の名称、性質および使用状況は知らない旨供述し、前掲の、本件事故当時山手線電車にはリノクリームのみが使用されていたことを強調する各証人も、リノクリームの本格的使用以前の状況については何ら明かにしないし、また証人高橋吉太郎は新型車両(鋼鉄車)に塗布される防塵剤は即ちリノクリームであるように誤解しているものと窺われる(証人小沢耕一の証言中にも同様の傾向が見られる。)のであって、このような事情に照らすと、これらの証言も昭和三九年八月以降の山手線電車にはリノクリーム以外の防塵剤は全く使用されなかったとの趣旨においては、その証明力になお疑問なしとしない。さらに≪証拠省略≫による、塗布すべき防塵剤の標準使用量の指定は、同証の記載により昭和三九年四月から施行されるべきものと認められるところ、この時期においては前記のとおりリノクリームとそれ以外の防塵剤とが併用されていたはずである(リノクリームは試験的に使用されていたのにすぎない。)のにかかわらず、防塵剤名の指定、区別もなく、単に床油との記載があるのみであって、リノクリームとその他の防塵剤との使用上の相違、関連等は全く不明であり、ひいて右使用量の指定がリノクリームを対象とするものかどうかも必ずしも断定し難い。(従前の防塵剤とリノクリームの使用量が同一であるなら別であるがそのような証拠もない。)
以上要するに、防塵剤としてリノクリームが使用されるに至った経過およびその使用状況の変遷等について不明の点が多く、これに原告本人の供述中、本件電車の床面には油性の塗料が黒く塗られていた旨(これに反する証人鹿島清の供述は、かかる可能性を否定するに十分なものではない。また、これを他の乗客が床に流したものと認めしめる証拠は存在しない。)の部分を綜合して判断すれば、以上に示した被告の主張に副う各証拠を綜合しても、なお被告の訴外会社に対する防塵剤に関しての規制はさほど厳格なものではなく、従って訴外会社としては昭和三九年八月以降、新型車両には主としてリノクリームを用いてはいたとしても、なおこれと併わせて他の防塵剤をも使用していたのではないかとの一抹の疑問を払拭できず、従って本件事故当時において山手線電車の防塵剤が全てリノクリームに統一されていたものと認めるには充分でないものといわざるを得ない。(なお山手線新型車両は全てロングシートの合成床車両であることが証人小沢耕一の証言によって明らかであり、池袋事業所へのリノクリーム購入量は前出乙第五号証により知ることができるから、これと同事業所で大掃除を担当するこの種車両数、その一台当りのリノクリーム使用量および大掃除の回数等を対比することにより、本件事故当時の山手線新型車両に使用された防塵剤が果して全てリノクリームのみによって賄なわれたか否かを明らかにできるはずであるところ、≪証拠省略≫によれば昭和三九年三月当時の右車両数は一応二六七台と窺われるが、なおその後の増加の可能性を否定する資料はなく、右証拠による標準使用量がリノクリームを対象とするものかどうかは前示のとおり断定し難く、≪証拠省略≫を綜合するとその使用量は概ね〇・四ないし〇・六立とのみ確定しうるにすぎないし、また大掃除の回数も前示のように概ね五、六日毎に行なわれるとしか確定できず、これら不確実な要素の下ではなお右の点を明らかにするを得ない。)
そうとすれば本件電車に塗布された防塵剤としてリノクリーム以外のものが使用されていた可能性もこれを否定することはできない。
もっとも、たとえ本件電車の防塵剤がリノクリーム以外のものであったとしても、それが十分に滑り防止の性能の高いものであったことが明らかであれば格別であるが、本件電車の床面に関する証人鹿島清の証言はこの点について必ずしも十分な心証を与えるものではなく、その他これを認むべき証拠はない。また、仮に十分に滑りを防止することができないものとしても、防塵剤が衛生上必要不可欠のものである反面、防塵剤塗布に必然的に伴う――一つには防塵剤で湿潤されることによる、また一つには防塵剤の連用によって床面が硬化することによるところの――床面の滑り抵抗の減少は避けられないものであり、被告がこれに対する技術的克服に努力したにもかかわらず、当時の技術の段階では、なおある程度の滑り抵抗の減少はやむを得なかった事情があるならば、そのために生じた結果につき過失をもって被告を責めるのは酷であろうが、右のような事情の存在について被告は主張立証するところがない。
結局本件電車床面の滑り易さにつき、運送に関する旅客運送人としての注意を怠らなかったことにつき証明の責任を負う被告としてはその責任を果していないのであるから、この点については被告の不利に判断するほかはない。そうすると、本件事故の発生に関して原告にも電車内での歩行につき過失があったとしても、本件電車床面への防塵剤使用と本件事故との因果関係はこれを否定すべくもないから、被告は商法第五九〇条に基づく責任を負担することを免れず、原告のその余の主張(国家賠償法ないし民法による責任)について判断するまでもなく、被告の損害賠償責任はこれを肯定すべきである。
四、そこで進んで本件事故による原告の損害につき判断する。
原告は前示のとおり本件事故によって右膝関節捻挫の傷害を負ったが、≪証拠省略≫を綜合すると次の事実を認めることができる。
原告は右傷害により事故当日とその翌日は三輪病院に通院して治療を受け、昭和四〇年三月一日からは三水会病院に通院して治療を受けたが、この右膝関節捻挫の傷害は患部に他の疾病がなければそれ自体では一ヶ月ないし一月半で全治する程度のものであったところ、原告には既に事故前から老人性の左右膝関節部の退行変形が潜在しており、このうえに右の外傷を受けたため併せて右膝の変形性膝関節症による痛みを生じ、また右膝の痛みから左膝を酷使することになったため左膝部にも変形性膝関節症の痛みを併発し、このため回復が長びき、その後治療の結果右の痛みおよび後記歩行障害は次第に軽快したが、なお一年九月余を経た現在でも超短波療法による治療を続け完全治癒には至っていない。そして原告は右治療等のため数千円の出費を余儀なくされたほか、右傷病により事故後約二月間は歩行、用便等に多大の支障を来たし、その後も歩行にかなりの困難があり、原告は弁護士を業として(この事実は当事者間に争いがない。)妻子を含めた家族五人の生活を支えていたものであるところ、このためその業務にかなりの支障、ひいて相当額の収入の減少を来たした。
≪証拠判断省略≫
なお被告は、本件事故と変形性膝関節症との間の因果関係を争うが、≪証拠省略≫によると、老人性の膝関節の退行変形は必ずしも痛みを伴うものではなく、原告も本件事故前は痛みを自覚しなかったものと認められるから、本件事故による外傷のため、右の退行変形が痛みを伴う変形性膝関節症として発現するに至り、また本件事故に遭わなくてもいずれ退行変形が進むに従って痛みが発現するものであったとしても、本件事故がその時期を早めたことは否定できず、その限度で右因果関係を肯定することができる。
以上の事実によれば原告は本件事故により肉体的精神的苦痛を受けたものと認められる。
また≪証拠省略≫によると原告は本件事故に基づく見舞金として被告から金六〇〇〇円を受領したことが明らかである。
ところで被告は、抗弁二として、本件事故は原告の過失によるものである旨主張するので判断するのに、弁論の全趣旨によれば、本件事故当時においても電車内で乗客が床面で滑って転倒しあるいは受傷するような事態は稀であり(≪証拠判断省略≫)、また本件電車の乗客のうち原告の他に本件電車床面で滑った者があると窺える資料はないから、もし塗布された防塵剤のため本件電車の床面が滑り易くなっていたとしても、その上を歩行するものがそのため滑る蓋然性はさほど高くはないと認められ、前示の本件事故の態様、特に原告は電車の発進もしくは進行に伴う動揺によって滑ったのではなく、単に歩行中に滑ったものであることに鑑みれば、原告としても電車乗客として、車内の歩行に際し足下の状況に注意を払って、自らの歩行の安全を守るべきであるのに、これを怠った過失があることは否定できず、そしてこの過失も本件事故の重大な原因となっているものと推認するに十分である。
以上の諸事情を勘案、斟酌し、原告の本件事故に基づく前記苦痛を償うべき慰藉料として被告が賠償すべき金額は、原告が訴状送達の翌日から遅延損害金を請求している金一〇〇万円のうちの金一五万円をもって相当と認める。
五、以上のとおりであるから、慰藉料として金一五〇万円の支払いを求める原告の本訴請求は、右金一五万円およびこれに対する訴状送達による催告の翌日であること記録上らかな昭和四〇年七月一一日から完済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由ありとしてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、仮執行の宣言は、その必要がないものと認めてこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 浅田潤一 浜崎恭生)